ギター オーディションを受けた話

 高校2年の時にクラスの友達とバンドを作りました。名前は忘れちゃいましたが、オリジナル曲を作ってラジオの公開録音に出場していました。


当時はアマチュアバンドが流行で、そういう番組がたくさんあったんですね。

  その中で覚えてるのが大阪市天王寺のアポロビルにあったアポロホールでの公開放送「アポロビビッドステージ」。
 私作曲、メンバーのネギちゃん(祢宜育子さん) 作詞のオリジナル曲「レモンの恋」で出演しました。残念ながらオンエアされませんでしたが、楽屋で西岡たかしさんが丁寧にアドバイスをしてくれたのを覚えてます。内容は「もっと前に声出して!」だったかなぁ。

 練習を続けていたのですが、私が2年の終わりに三重県に転校したので、バンド活動はそれっきりになってしまいました。

 1970年代は、歌謡曲一色から、フォーク、グループサウンズなどが台頭して、やがてニューミュージックと呼ばれるようになりました。ユーミンやサザンなどもこの頃デビューしてます。
私は、バンド活動が出来ないので、一人で歌を歌いながらという、いわゆる弾語りを毎日してました。


さて、大阪に毎日放送という放送局があって、ヤングタウンという深夜ラジオの公開録音を毎週土曜日にやってたんです。
司会は今や大御所の桂三枝さん(現在の桂文枝)。当時は関西ローカル人気の若手さんでした。
こちらもアマチュアのオーディションが毎週開かれて、合格するとこの公開放送で歌えるんです。

オーディションの受付には、毎回廊下の端から端まで100本くらいギターケースが並んでました。
10回くらい受けて落ち続けたある時。
「だいぶ上手くなったね、ノート見せてごらん」って声をかけられました。
レパートリー帳には、洋楽とオリジナル曲がびっしり書きなぐってあります。
「今度、コレ弾いて」って。
合格でした。
何よりも、毎回ちゃんと聞いててくれたのが嬉しかったです。

楽器って、人前で演奏するとすごくアガりますね。
人前でなくても、自分で録音するだけでも何回もトチリます。
さて、公開録音の日程が決まりました。土曜日なので学校は午前中で終わりなのですが、既に三重県の名張市という所に引越していたので、大阪の千里丘という所にある毎日放送にはとても間に合いません。ギターケースを抱えて、無断欠席しました。

 2時間もかけて、早〜くに到着。 誰もいない廊下では、司会の三枝さんが壁の回覧板を見ています。
 アマチュアでもしっかりリハーサルがあって、超〜緊張しました。途中で歌詞が出てこなくなって終了!!!。 100回以上練習してたのにね。
「本番は、お願いしますよ〜〜」って、譜面台も無いし、絶対無理だ!
急遽、カンペを作ってギターに貼りました。

 その日のゲストは当時人気絶頂だった「アリス」(40年以上前の話なので、知らないでしょうね)と、なぜか大御所-若者には無縁の「ペギー葉山」さんと、売出中のバンド「火の鳥」でした。そして高校生の私。 さてさて、どうなる事やら。
なんか、ブログっぽくないですね( ̄∇ ̄)

 アマチュアですから、私の出番は当然プロの方々の前座だったと思います。
曲は「Leaving on a Jet Plane」(邦題 悲しみのジェットプレーン)1969年の全米トップヒット。今でもたまにカバーで歌う人がいます。
そういえば、当時は「悲しみ~」とか「悲しき~」から始まる洋楽や洋画の邦題が多かったなあ・・・。

  スタジオは50人くらいの観客(前列にはヤンキー風の高校生もいて、ガンを飛ばしてきます。なんで???)
司会の三枝さんが私の紹介をしてくれます。

  そんな中、原曲に無いオリジナルのイントロで始まった曲は、今までに無い驚くべき完成度で最後まで歌う事が出来たのでした。(めでたしめでたし)


帰りに交通費として2000円いただいた・・・と日記に書いてあります。


数週間後の土曜日の夜のオンエアは、感動的でした。録音したカセットテープはずいぶん長い間手元にありましたが、いつのまにかどこかに行ってしまいました。


その時のギターも彼女(今の嫁さん)とのデート代を作るために、質屋さんに嫁いでいきました。

皆さんも、練習して地元のイベントとかに出てみましょう。

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