ギターでアルバイトのお話

 学生時代のお話です。三重県の田舎から神戸の大学に通うために出てきた私は、アルバイトを探していました。
  最初はレストランの皿洗いなんかをしていましたが、やはり昼間は授業があるので、夜に働けるといいなと思ってそんなアルバイトを探していました。


 ある日、門徒厄神という阪急の駅から171号線に交わる側道で「アルバイト募集」の張り紙を見つけました。
 なにかの店なんですが、窓は無く小さなドアがあるだけ。中をのぞこうにも閉まっていて、張り紙には連絡先の電話番号もありません。
 しかたなくまた夕方に来てみますと、ドアの隙間から光が漏れています。昼来たときには気が付かなかったのですが、店先の大きなタマゴのオブジェに明々と電気が ついていました。

 恐る恐るドアを開けてみると、中はカントリー調のしつらえで、おちついた雰囲気。ドレスを着た女の人が二人で一人は50歳代、もう一人は20代半ばでしょうか。
 私の恰好はそれこそ貧乏学生そのもので、年配のほうの女性も怪訝な感じで「いらっしゃい」とは言ったものの、何しに来たの?という感じが見て取れました。
 張り紙を見たことを話すと、腰かけていた椅子から立ち上がって「あら、そうなんかいな~」と笑顔で受け入れてくれました。

 話を聞くと、この店はいわゆる「スナック」で、アルバイト学生がちょうど卒業してしまって後釜を探していたそうです。

 「そんで、あんたギター弾ける?」と聞くものだから、「はい」と答えると「助かるわ~、これから出来る?」とその夜からカウンターに入りました、

 その女性は高岡さんと言って、元は宝塚の団員さん(いわゆるヅカガールですね)。若い方はひろみさんと言って丹波という所からの出稼ぎのお姉さん。
 歴代この近くの関西学院大学(私もここの学生でした)の学生がバーテンのアルバイトをしていて、特にご主人がこの学校出身の有名なラガーマンだった縁で運動部の学生のたまり場になっていました。

さて、ギターの話です。
 どうしてギターが弾けると助かるわ~だったのかはその夜から判りました。 常連のお客さんが来て、しばらく飲んでいると「そろそろいこか!」となって、歌本とマイクが出てきました。
「○○ちゃん、お願い」と私にママさんが言います。
「えっ?」という感じですね、ようするに歌の伴奏をしてという事なんです。カラオケがまだ無かったですから。
一般の方は「ギター弾ける人=伴奏の出来る人」の認識のようです。

 お客さんはおじさんですから、当時の私とは年代がかなり違って、その方が歌本で選ぶ歌なんか私が知るはずもありません。

 でもね、私は才能があったんです。
適当にコードを弾いておじさんの歌に合わせていくと、1番が終わるころにはだいたいフレーズの見当がついてくるんです。

キーはカポで調整して・・・。おじさんもアルコールが入っていますからシビアな要求はしないのもミソです。

 YOUTUBEもネット配信もない時代ですから、知らない曲はおじさんの歌うその瞬間しか覚えることができないんですが、それでも「夜霧の第二国道」や「旅姿三人男」など、いまでもいい曲だなあと思います。

 当時の時給は350円でしたが、夕方は店のメニューを自分で作って食べていい事になっているのと、たまにママさんが肉を買ってきてくれてステーキを焼いてくれましたのが大変助かりました。  また、先輩を頼って宝塚の団員さんが遊びに来てくれるのも楽しみでしたね。

 困ったのは、店が終わるのが夜の12時を回るので銭湯に間に合わない事・・・。どうしようもなくなると、下宿の共同手洗い場で水で行水をしたものです。

 

 店の名前は「エルハウス」といいました。その後、隣の甲東園駅前で新しい店を出されて繁盛していましたが、阪神淡路大震災で不幸にも全壊。住まいでない建物には保証がゼロだったそうで
、近くで小店を細々と続けておられましたがその後の事は判りません。

私の青春の1ページ。1970年半ばのお話でした。

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